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15各島のポリネシア古来の呼び方


古代ポリネシア人たちの頭の中には、海に散らばる島々がしっかりと記録されていた。

そこには、国境も境界線も全く引かれておらず、一つの広大なエリアとして理解されていました。

その島々を見つけるため、目指すために、スターナビゲーションの技術が発達し、星を手かがりに航海をして

360度海に囲まれる状況から、島々の位置を定め、しっかしと目指し渡り移り住んで行きました。

これは、クック船長を航海をサポートしたタヒチ人航海士の頭の中にあったポリネシアの地図。

方位磁針などの文明の利器が無い中でも、しっかりと多くの島々の位置関係を理解し、

自分たちの位置関係を大海原の中で理解していたことが分かります。

1824年にロシア人製図技師von Krusensternが、1779年に亡くなったクック船長の名誉を讃え、 The Cook Islandsと名称変更しました。

突然、外からやって来た西洋人たちに、便宜的に、海に線を引き、15の島を囲い、クック諸島と名付けられた。

その島々に住んでいるポリネシア人たちにしてみたら、迷惑なことだったのかもしれませんね。

15の島々からなるクック諸島。

1824年以前に、この15の島々が1つの国のまとまり、単位として考えられたり、統治されたりしたことは全くなかったということ。

それまでは、一つの島々が独立して、独自の酋長と共に文化を築き上げていたということ。

よって、各島々にはそれぞれ、ポリネシア古来の呼び方があります。

今でも、ダンスショーのステージにて、

自分のルーツをたどり、「私はこの島とこの島の出身なの」と紹介するときなどに、ポリネシア名の島で呼ぶなど

現代でも多く耳にする機会があります。

上段:日本語名の島名

下段左:現在のアルファベット表記 > 下段右;古来からのポリネシアの表記

という様に、15の島々の名前を紹介します。

ラロトンガ島

Rarotonga > Tumu te varovaro & Nukutere

アイツタキ島

Aitutaki > Araura Enua

マヌアエ島

Manuae

マンガイア島

Mangaia > A'uA'u Enua

アチウ島

Atiu > Enua Manu

タクテア島

Takutea > Takutea

マウケ島

Mauke > Akatokamanava

ミティアロ島

Mitiaro > Nukuroa

パルマストーン島

Palmerston > Pamati

スワロー島

Suwarrow > Suwarrow

ナッサウ島

Nassau > Te Nuku O Ngagewu

プカプカ島

Pukapuka > Te Ulu Ote Watu

マニヒキ島

Manihiki > Te Fuinga O Niva

ラカハンガ島

Rakahanga > Tapuahua

ペンリン島

Penrhyn > Tongareva

ポリネシアの各島々の古来の名称、海の国境線などの区切りなど何もかもを通り越して、

急に便宜的に「クック諸島」と名付けられた経緯がよく分かりました。

私は個人的には「クック諸島」って響きも好きなんだけれどな。

さて、議論がどの様な方向性に流れて行くのか、まだしばらく見守って行きたいと思います。

下の写真はクック諸島の一番北端に位置するペンリン島。

島民223人が暮らす美しい島は、サンゴ礁の島。首都のラロトンガ島よりも、隣のキリバツの方が近い。

大きなラグーンに囲まれ、対岸に別れた2つの村に人々は暮らすよう。

ラグーンは魚が豊富、そしてサメのサンクチュアリーとのこと。

一度、行ってみたい夢の島です。

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