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情報戦争を振り返る 自宅隔離のスタート

振り返ってみると、1ヶ月が過ぎ去っていた。

信じられないスピードだ。


そして私は無期限の自宅待機となり、ラロトンガ島でself isolation & stay homeの日々が始まる。


今日まで、あっという間だった。

多くのことが起こりすぎて、まだ自分でも消化し切れていないのが正直な感想。



この1ヶ月あまりは、息をする暇もないほどの緊張感に日々包まれていた。

各国、各機関の情報合戦。

当初は日々変わってくる各国の規制のアップデート。

その後は、数時間毎に変わってくる情報、発信された各機関ごとの情報の精査。

そして最後の方は、公式文書の英語表現の微妙な受け取り方の違いによる Yes or No の再確認作業まで、と一つ一つに緊張が走った。


それらを見極め、有益情報をいち早くキャッチして、アクションする。旅行会社勤務の私にとっては、それは現在クック諸島に向かっているお客さんに伝え、対処するということ。


振り返ると、クック諸島の新型コロナウィルス情報合戦開始は、2月27日に遡る。


2月27日夕方、クック諸島政府は、日本を含む感染者が多い国から来る14日間以内の旅行者の入国を制限することを発表した。


発表された数時間後には、日本の旅行社に電話で報告し、クック諸島を目指して成田空港に向かっているゲストに飛行機搭乗を断念してもらった。苦しかった。でもそうするしかなかった。もうスーツケースは、成田空港に届いています、と涙する地方在住の方もいた。

3月にクック諸島旅行を予約をしていた日本からのゲストはこれで全てキャンセルとなった。



ヨーロッパ、アメリカ方面からのゲストはというと、

「大丈夫よ、クック諸島に行く前にNZを3週間旅しているから、問題ないわ」

「シンガポールをトランジットするので引っかかるけれど、ニュージーランドの滞在を長くして14泊してからクック諸島に向かうように変更したから大丈夫よ」

「私は、アメリカ発ニュージーランド経由で行くから感染国は通らないから予定通りよ」

壮大なバケーションのスケールにびっくりしつつも、世界の僻地、楽園であるクック諸島は大丈夫とどこか安心していた自分がいたことは確かだ。


が、3月も上旬を過ぎると日々状況が更に緊迫してきた。

外国人の入国を拒否する国が出始め、海外渡航規制を各国の政府が呼びかけ、更には旅行をやめて至急GO HOMEするように呼びかけるというメールも入るようになる。


お隣のフレンチポリネシアで感染者が出た。クック諸島政府は、パペーテ行き、合わせて感染者が増えているシドニー、ロサンゼルスの直行便(週一運行)の運休を決める。また、医療設備が整っていないアイツタキ島を含む離島へのフライトも運休とし、離島の人々を守ることを決める。


オークランド空港にてラロトンガ行きの飛行機搭乗を拒否された、という声がちらほら聞こえるようになって来た。


ニュージーランドが入国者全員に14日間の自己隔離を決める。これでも、すでにNZに滞在中の長期旅行者がたちはパラパラとクック諸島に流れてきた。


決定打は、3月19日。アーデーン首相が23:59より、全ての外国人に対してNZに向かう航空機への搭乗を禁止した(NZ国民、市民権を持った人以外の外国人旅行者ということ)」


これにて、クック諸島のゲートウェイが事実上全てふさがった。

オークランド、シドニー、ロサンゼルス、パペーテ。海の孤島だ。


今後ニュージーランド航空、ジェットスター、ヴァージンオーストラリア航空が運行便を徐々に減らしていく、と発表。そして、今日、明日の分も突然にキャンセルになったりし始めて来た。クック諸島にとっては命綱のNZ航空は、長距離路線を6月末まで運休にすると発表に大きな衝撃が走った。これは、長期間の戦いとなるぞ。そしてNZ政府は本気だ、と。



到着便の空港ゲートお出迎えは、外国人観光客はほぼNO SHOWとなった。(予約をしているが、到着しないこと)クック諸島に向かう人は、ロングフライトで数日間かけての大移動で到着する人が大半。そんな人々にアラートしなければ。


そして否応もなしに、途中で足止めとなってしまった人たち、移動中で連絡がとりずらい旅行者&時差で地球の裏側にいる欧米の旅行社とのやりとりで、なんとか当日キャンセルで100% ノーショウペナルティーが発生しないようにとホテルのキャンセル手続きの山。


無我夢中で処理している中、GO HOMEと各国政府が発信するようになる。可能ならいますぐ国に帰ってきてください、という強いメッセージ。いまクック諸島にいる人々をどのように帰国させることができるか、という戦いも同時に始まった。


ラロトンガ空港内にあるニュージーランド航空カウンターに今まで見たことのない長蛇の列が日々できていた。旅行の日程を前倒しし、即決で、当日、翌日発の新しい航空券を購入し、帰る人はスマートだった。


3月19日以降、AKL空港の空港内待機トランジットも一切拒否されたという連絡があり、多くの人が混乱した。え?私たちクック諸島から帰れない!?



その後政府関係機関で様々なやりとりがあったのだろう。22日から24日まではトランジットを認める、欧米方面に帰国するにはあと1週間は猶予をあげる、と連絡があったものの、結局はそれも25日夜にNZがステージ4(ロックダウン)になってから早まり、トランジット枠もストップした。この日々は、出発する便はすべて満席で飛び立った。座席の奪い合いで、値段が高騰していた。

自国の旅行会社に連絡をして、時差とコミュニケーションの時間で手配が間に合わなかった帰国難民も数人ではない。

「国に帰るよりは、ここにいた方が安全だわ。私たちはラッキー」と前向きに考えている若者がいた。2週間前にラロトンガ島で結婚式を挙げ、ハネムーンでアイツタキ島で過ごし、ラロトンガ島に帰って来たら、帰国便が運休になっていた、という英国ご夫婦もいた。この便に乗れなかったら次はいつ飛ぶか分からないという飛行機の搭乗許可が下りず、涙を流している人々も数多く見た。


今までは、半年に1通ぐらい届く大使館からのメールが、日々届くようになりクック諸島、そしてニュージーランドの情報をアップデートしてくれる。


たくさんのドラマ、感情に包まれた1ヶ月が終わりました。

もうしばらくの間、飛行機は飛びません。


いま、クック諸島はCode Yellow。

いつもと同じ青い空、蒼井ラグーンが広がります。


Code Blueの感染に備えるという準備期間から、一段階上がり感染が広がっているという段階。でも感染者は幸いにゼロ。

NZに送られた100余りのCOV-19テストも全てネガティブ(陰性)という報告。


自分とコミュニティーを守るため、人との距離を皆が取ることを政府は奨励し(Social Distance)、自宅待機が多くなる。至る所に、ハンドサニタイザーが置かれ、スーパーも入店の人数制限を始めたり、道ではマスクをした人が目につくようになる。


自分がウイルス感染者であるように過ごそう。周りの人々に優しく。

Be kind


We are in this together

あなたは一人ではない。私たちは皆一緒にこのチャレンジングな時にいるのよ


1ヶ月前までは他人事であった新型コロナウィルスが、今はまさにクック諸島全国民、私たちの生活の一部、いや基本となった。観光業が国の収入の80%と言われるクック諸島で、向こう数カ月は観光客が来る見通しがないというのは国&人々にとっては大問題。

もちろん旅行会社に働く私自身にとっても。




でも、政府のリードにより、幸いに不安な気持ちをあまり持つことなく、これから数週間、いや数ヶ月続く、このクライシスを心穏やかに過ごせる気がします。小国ながらクック諸島政府、すごいです。国民、そして海外労働者をもしっかりと守ってくれます。日本のニュース、政治家の演説などを聞きながら、私は今クック諸島にいることができて、なんて幸せかなあと感じています。その政府の政策などもこれからお知らせしますね。


これからは自分と家族、コミュニティー、そしてラロトンガ島を守るため、自宅隔離生活を開始します。


期間は未定。

皆が笑顔で乗り越えられますように。

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