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伝説の女性アリキ(酋長)98歳で亡くなる。国葬が行われました。


クック諸島の歴史を見守り、

人々と共に歩み、時に先導してきた島の伝説の女性酋長(クック諸島マオリ語でアリキ/ Ariki)が先週末お亡くなりになりました。

Dame Makea Karika Margaret Ariki DBE デイム・マケア・カリカ・マルガレット・アリキ氏

1919年生まれ

98歳だったということです。

クック諸島に現在いる24人のアリキ(酋長)の内の一人。 政治的なリーダーではなく、島の伝統的な人々のリーダーとして慕われてきました。

68年間もの長い間 人々のアリキ(酋長)としてラロトンガ島の中心部、アヴァルア地区に暮らし、人々の国のために奉仕してきました。

国民から愛され、尊敬され、まさに国と人々の象徴のアリキ(酋長)でもあった彼女。

13人兄弟の2番目。

彼女の功績を並べるとリストに収まらないぐらいになります、、、

下院としての役目を果たすHouse of Arikiの創始メンバー(1967年設立)、クック諸島クリスチャン教会などの様々な宗教・精神活動のサポート、彼女自身がスポーツ選手であり子どもたちのスポーツ活動を支援、そして国・島・人々のことを思い野生動物・環境保護にも精力的に活動してきました。

高齢にもかかわらず、 車椅子に座り愛する子どもたちや孫たちに引かれながら、最後の日まで伝統的な儀式、

島の重要なイベント名誉あるゲストとして参加して国の歴史を見守ってきた姿は

まさに”私たちのアリキ(酋長)”と人々に慕われていました。

この伝説のようなデイム・マルガレット・アリキの功績を称え ラロトンガ島で国葬が行われました。

最後のお別れを告げるため、また、敬意を占めすため多くの人がアヴァルア市内に集まり、人々のアーチが作られました。

数十メートルごとに敬意を称える掛け声の儀式が行われ、ゆっくりと国立劇場まで進みました。

人々に代わる代わるに担がれ、

山々に見守られながら棺がゆっくりと進みます。

悲しみに包まれたラロトンガ島。

隣にいた女性が語ってくれました。

「彼女は最後まで私たちの真のリーダーだった」と。

2015年。 国民が大反対する中、クック諸島政府が中国に地引網漁の漁業権を売りました。

「私たちは、政府に対してとても怒りました。 そして大きなデモ行進が行われました。

その時、先頭にいたのがデイム・マルガレットだったのよ」

「私たちは、彼女に宮殿で私たちを見守ってくれれば良いよ、

と言ったのに、彼女はじっとしてはいられなかったの。 彼女は車椅子に乗り、私たちの先頭にたって進んだの。

自分たちの島と海、そして人々を守りたい!」と、政府に立ち向かったの。

2日間で島の4分の1にあたる3000名の署名を集め、 グリンピースが海外で集めた30,000名の署名と共に政府に請願したとのことです。

今でもしっかり語り継がれている、

人々が集い、政府に抗議した歴史です。

2012年の女王の新年の栄誉でダメの称号を授与されました。 彼女は大英帝国最優秀勲章(OBE)の最高勲章を授与されました。

同じく2012年、

デイム・マルガレット・アリキは、英国の功績の顕著な人物に授与される大英帝国勲章(The Most Excellent Order of the British Empire)を授与され、Dame (デイム、女性。男性の場合はサー/ Sir)の称号を英国女王より授与されました。

英国の中でも男性ナイト(騎士/ Knight)と同じく、最高勲章となるこの名誉は、当時63年間アリキを務めて

国に貢献してきた彼女の功績への祝福だったのでしょう。

「クック諸島人として初めてこの名誉ある称号が授与されたこと、

しかも私たちの愛し、尊敬する女性ということで国中の人が祝福したわ。」

モアナと伝説の海でも描かれていた、プリンセスモアナはポリネシア島の伝統的な女性チーフ、アリキ(酋長)。

クック諸島も実は女性パワーが優勢で、多くの女性アリキが現在も活躍中です。

その中の最も大切な一人のアリキがお亡くなりになり

クック諸島のアリキの歴史もこれから新しくなります。

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