6月に正式に任命された、日本国名誉大使のJohn Webb氏。
先週、在ニュージーランド日本国高田大使のクック諸島訪問に合わせて、
就任を祝うレセプションが9月27日に開催されました。
会にあたり、
まずは名刺を用意しなくては、と私は翻訳を頼まれ、間違ってはいけないと、かなり真面目に調べました。
英語のタイトルは、 「Honorary Consul-General of Japan to the Cook Islands」
日本語訳は;
「在クック諸島日本国名誉総領事」
ということです。
間違えないように、そして記憶するために、何度も繰り返し口にしてみました。
ざいくっくしょとうにほんこくめいよそうりょうじ
とっても、重みのあるタイトル。
ようやく、私の中でもしっくりできました。
これからも改めてよろしくお願いいたしますとWebb氏と挨拶を交わしました。
さて、
就任のカクテルレセプションですが、
海の見える素敵なお庭のあるタマリンド・ハウスが会場です。
サンセットの時間に合わせての海を見ながらのカクテル開始、、、は島の重要イベントのお決まりですね。
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ヘンリープナ首相、財務大臣、などの政府の高官の方々、 ああ新聞とかで見たことある顔だなあ、という人々、そして クック諸島のビジネス界の有力者がたくさんいらしてくださいました。
クック諸島にすむ日本人は現在6名。
日本の大使館はなく、引き続き在ニュージーランド大使館が管轄することになります。
名誉総領事の職は、アジア諸国の中で日本が初めてクック諸島に置くこととなりました。
これからますます、
日本とクック諸島の関係が深まりますように。
Webb氏は、今後の2カ国の関係が人々の交流、そして貿易、投資、観光でも深まっていくことを願います、と挨拶されました。
まずは、貿易&投資。
2016年の日本からの輸入額は280万ドル。 クック諸島から日本向け輸出は920万ドルとその規模は対照的になっている。
主な製品は魚、黒真珠、ノニジュースなど。
今後、日本との貿易の可能性は大きいので、期待している。
クック諸島からの製品をお取り扱いになりたい方は、ぜひ太平洋諸島センターにご相談くださいね。
【太平洋諸島センターとは】 正式名称:南太平洋経済交流支援センター、South Pacific Economic Exchange Support Centre, SPEESC 1996年10月1日に日本国政府と 太平洋地域の国際機関である南太平洋フォーラム(現 太平洋諸島フォーラム:PIF)とにより設立された国際機関で、日本とフォーラム加盟島嶼国(Forum Island Countries, FICs)との間の貿易・投資・観光の 促進を通じて、同島嶼国の経済的発展を支援することを目的としています。
フォーラム加盟島嶼国(FICs)は、クック諸島、ミクロネシア連邦、 フィジー、キリバス、マーシャル諸島、ナウル、ニウエ、パラオ、パプアニューギニア、 サモア、ソロモン諸島、トンガ、ツバル、及びバヌアツ。
当センターは、以下の目的を有しています。
・島嶼国と日本との間の貿易を促進すること ・日本から島嶼国への投資を促進すること ・日本から島嶼国への観光客数を増加させること
観光
昨年2016年は一年間で500名近くの日本人の方にクック諸島にお越しいただきました。 一昨年の200名台から一気に倍となったのですが、もっとたくさんの日本人の観光客にお越しいただきたいと思っています。
年間統計で、クック諸島を訪問する観光局の中で
日本人・中国人などすべてのアジア人を合わせ占める割合は、なんとたった1%なのです。
旅行をしている間に、同じ東アジア人の人を全く見かけなかった、という声は頻繁に聞かれます。
アジア人観光客の波から離れ、ポリネシアの島の自然にどっぷりと浸かる、、、
英語が公用語です。笑顔とジェスチャーで地元の人たちとの会話も旅の良い思い出となること間違えなし。
観光化されていない素朴の島に冒険に行くような旅の経験がクック諸島ではできますよ。
2011年に日本がクック諸島を国家承認してから6年後に置かれた名誉総領事。 2011年の前から、ニュージーランド領の時代から続いている両国間の協力関係がようやく正式に強化された形になりました。
Webb氏は続けました。
「今日、日本は、コミュニティの無償資金協力と人材育成プログラムや技術支援を通じて、 多くの分野でクック諸島に支援を提供し続けています。
最も必要とされる地域社会に向けられたこのような援助の形態は、
両国間の強力な経済的、社会的絆を育むためのつながりを作り出しています。」
2011年以降、日本政府は150万ドル以上の地域コミュニティを支援する、草の根無償資金を提供しているとのこと。
小学校の建設、桟橋の建設、港の補強工事、消防署建設などなど、、、
島を回っていると日本国家とfrom people of Jpaanという標識は目につきますよ。
島の人々は日本のことを近くに感じている。みなとても親日家、とは、実際に私も日々感じています。 そして、日本にあこがれる若者、そして研修・会議、伝統文化公演で
とても多くのクック諸島人がすでに日本に行ったことがあるということも感じています。
「1974年にラロトンガ国際空港が開港する前、
1960年代に私は船でニュージーランドに向かったんだ。 約1週間の船旅だったけれど、私はある日本人研究者と知り合って、GOを教えてもらったよ。」
っえ?GO???
あ、碁ね!
「船旅は暇でしょうがないから、私たちは朝から晩まで毎日碁を楽しみ、良い船旅の思い出になったよ。
彼が何のリサーチに来ていたかは覚えていないけれどね、、、」
1960年代から既に日本の調査チームがクック諸島に来ていたこと、びっくりしました。
飛行機が飛んでおらず、伝統的なポリネシアの生活が残っているクック諸島の暮らしを見たこの男性、
いったい今どこで、何をしているのでしょうかね。
お会いしてみたいです。
そしてこの碁を教えてくれた日本人男性との出会いから、半世紀。
様々なめぐり逢いと縁で、現在は、在クック諸島日本国名誉総領事に任命されたWebb氏。
これからも、よろしくお願いいたします。